【とにかく子どもの面倒をよく見る、大倉山藍田学舎学長からのメッセージ】『何故勉強をするのか【3】』

正しいプロセスを経て最良の結果を

子供達が「物事の本質を見抜く力」をつけていくには、結果よりもプロセス重視の教育による散在する知識の整理の方法を教える必要があると考えます。勿論結果を重視する事をないがしろにしてはいけませんが、結果を出す事に固執し知識の整理方法を誤る事で思考力が育たなくなります。物事を咀嚼してしっかり理解した上で知識を整理すること。暗記に頼った勉強方法を優先し結果を求める事は決して正しい勉強法ではありません。上述した物事を咀嚼し知識を整理することが勉強を面白いものだと認識する最たるものであると考えます。

そもそも勉強を面白いと思えない、勉強は面倒なものであると思ってしまう理由には、教科書の在り方にも問題が在るからではないでしょうか?実際、教科書を隅から隅まで読んだことがあるという人は極端に少ないのではないでしょうか。読んだことがない理由の大半は「読んでいて面白くないから」です。まず教科書はどの教科も結果しか書いていないといっても過言ではありません。勿論、限られたページ数の中にその問題、知識の背景などを盛り込めないのは仕方がありません。しかし結果を暗記するため、テストで点を取るための道具とかした教科書は面白くないでしょう。そして、教科書に記述される文章のその行間につまった本当の意味を勉強は面白いと認識する教育者が教授しなければ、教科書の真の意味は失われてしまうでしょう。

教科書は、予定調和のように「AならA」という事実が最初からわかっているかの様に書き出されています。Aという真理に到達するに至った人間の苦悶やどうしてAでなければならなかったかという、いわば人間ドラマが教科書からは捨象されてしまい、Aが発見されるに至る切迫感のようなものが教科書を読んでいても伝わらず、学ぶ者にとって無機質で冷たい記述と化してしまいます。 だからこそ教育者達は授業をする時、教科書の行間である「人間ドラマ」を導入に使うべきですし、ニュートンやアルキメデスやガウスなどの伝記や偉大な発見の背景的エピソードを存分に話してあげるべきなのです。
どんな物事でも、物事を印象深く記憶し興味を持つにはまず歴史をさかのぼることが大切です。そして、一つの考え方や法則が導き出された背景を説明する必要があるでしょう。

小中学生にニュートンやアインシュタインの伝記や業績を学ばせるということはとても難しいことです。しかし子供達は知識の羅列など望んでいません。私達は物事を学ぶ時、物語という形式を通すことが一番理解を進めます。何故なら物語の形は、人の記憶力だけでなく心、情動も働かすからです。
そもそも歴史を学ぶことは物語を学ぶことであり、物語こそ人間にとって最も自然な学びであるからです。歴史を意味するhistory(ヒストリー)という語は、His story(人間の物語)を語源とします。様々な教科を教える際に、極力歴史的観点を取り入れ学問的成果という結果だけにとらわれずそこに至るプロセスを生徒たちにも追体験させられるような授業を心掛けることが大切になるでしょう。しかし、全ての生徒達がこの方法で直ちに勉強の面白さに目覚めるわけではないでしょう。しかし少なくとも生徒達の頭の中に、学ぶことの意義・学ぶことの大切さは伝わります。

こういった工夫を生徒達へどう施し、どう関連付けて指導していく事が「何故勉強するのか?」といった子供達の疑問への答えの一端となるでしょう。

大倉山藍田学舎 学長 小野修一郎