【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】『あきらめなければ夢は叶う第2章-①』

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『あきらめなければ夢は叶う第1章-③』

『あきらめなければ夢は叶う第1章-②』

『あきらめなければ夢は叶う第1章-①』

■夢をあきらめなかった宮崎久選手のこと

こんにちは、藍田学舎・学長 小野修一郎です。

目標に向かって頑張っている皆さんに伝えたい「あきらめなければ夢は叶う」というメッセージ。その実例として、第1章では元世界陸上代表選手の宮﨑久選手について書きました。今回はその後編第2章です。

■陸上競技での五輪出場は叶わなかったが……

彼は北京五輪400mリレー銀メダリストの末續慎吾さんと同学年で、同じ九州出身。高校2年の16歳で100m10秒28という当時の世界ジュニア記録を叩き出し、当時、近い将来9秒台をだすのは宮﨑久であるといわれたほどの逸材でしたが、大学入学による環境の変化や故障などもあり伸び悩んでいました。しかし、東海大学で末續慎吾さんを筆頭に宮﨑久選手も徐々に頭角を現し、2003年パリ世界陸上の日本代表選手になるまで昇り詰めていきます

そんな彼とスポンサー契約を結んだのは2008年の冬です。

最初に出会った時、彼はまるで「血統書付きの野良猫」でした。

以前まであったスポンサー契約は打ち切られ、しかも当時彼は結婚していて、2人の子供を養わなければならなりませんでした。陸上で結果を出さなければならない。だけど結果が出ない。人間不信と人生への不安で、メンタルはボロボロでした。

その状態から自分自身と真正面から向き合うことでなんとか立ち直り、血のにじむようなトレーニングを重ね、ついに本来のパフォーマンスを取り戻すことができました。

2010年の日本選手権100mでは4位。翌年2011年も決勝に進みました。残念ながら目標であったオリンピックへの出場は叶いませんでしたが、最後まで諦めなかったことで、大きな達成感を得ることができました。そう、自分自身と真正面から向き合い最後まで諦めないで戦い抜く心の実践ができたからです。

だからこそ、次のボブスレーで五輪出場という新しい夢に向かうことができたのです。

そんな彼へ神様がご褒美を用意してくれていました。冬のソチ五輪行きの切符です。「冬季オリンピックボブスレー代表選手のセレクションを開くから来て欲しい」と連絡があったのです。

■冬季五輪の選考会に招集される

アスリートの世界は厳しい。

日本代表としてオリンピックに出たかどうかで引退後の人生は大きく変わります。例えば講演会などもオリンピアンが優先。いやらしい話ですが謝礼の額も変わってきます。

大学受験もそうですよね。

私はそういう考え方はあまり好きではないのですが、早慶や国立大学出身というブランドは正直ついて回ります。どんな有名大学に入っても、それが自分の人生に繋がるかどうかは本人が頑張るほかないのですが、世間一般や親御さんの中には「どこそこじゃなきゃ駄目」と偏った考えを持っている人も少なくありません。

大事なのは、他人の目ではなく、自分がその大学に行きたいか?

自分自身が早慶や国立に行きたい!というのであれば、それは立派な夢です。

後はその夢に向かって努力すればいいのです。

宮崎さんにとっても「オリンピックに出て日の丸を背負う」ことが人生最大の夢でした。一度それは破れたのですが、再びチャンスが巡ってきたのです。

もちろんセレクションに参加しない理由はありません。私も全力で応援することにしました(ただしソリで“滑り落ちる”のは学習塾の広告塔としてどうかとは思いましたが笑)

第一次選考を突破したのは約25人。その中に宮﨑久選手も含まれていました。

「ボブスレーって何をするの?」

当時の宮﨑久選手もそんな状態でしたが、第一次選考は基礎体力のテスト。身体能力なら、宮﨑久選手は誰にも負けません。

しかしそこから壮絶な代表争いが始まるのです。

練習をしながら適正を見ていくのですが、やることはひたすらソリを押すだけ。それには「走力」はもちろん「体重」も必要なのです。ボブスレーはソリで滑り降りていく競技なので、体重が重い方が加速して有利だからです。

当時の宮﨑久選手は身長183センチで体重は73キロ。陸上選手としては立派な体格ですが、ボブスレーの一流選手は体重100㌔が当たり前。それで100mを10秒台で走るのですから、とてつもない身体能力です。

しかも2人乗り・4人乗り、それぞれに体重の合計が決まっていて、それに満たないとオモリを載せることになります。しかしそれだとスタート時に押す力が余計必要になり、初速が出にくいので不利なのです。

ですので、選手選考は「走力」に加えて「体重」も注目されるのです。選考当初の宮崎久選手の体重は73kg。第一段階の目標体重は80kg、これをクリアできなければ、いくら基礎体力が皆よりも上回っていたとしても、重りをのせてソリを押すハンデの中でのセレクションとなってしまいます。刻一刻とその日は近づいてくる中で、トレーニングに加え、1日に8食を食べるといった非常に過酷な状況が彼に課されてくることになっていきました。

第2章 夢をあきらめなかった宮崎久選手のこと(2)

藍田学舎 小野修一郎

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