【とにかく子どもの面倒をよく見る、大倉山藍田学舎学長からのメッセージ】『自信を持つ事とは ① 』

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『今すべき行動で現状打破するには ① 』

『今すべき行動で現状打破するには ② 』

『今すべき行動で現状打破するには ③ 』

『今すべき行動で現状打破するには ④ 』

塾運営において面談をしていると「子供が自信なく困ってます。何とかもっと自信持てるようになって欲しいのですが」といったような言葉が出てきます。

家庭では我が子に自信を持ってもらいたい、職場においては、部下に自信を持たせたいと思う人達は多いのではないでしょうか?
そういった気持ちになることは実に理解できます。
自信がない人は、どこか頼りなく、何事にも成功しないように感じてしまうものです。

しかし、「自信を持つこと」と「物事の成否」は本当に関係しているのでしょうか?

「自信」とは何か。

何事にも自信を持って望むことは必要なことです。時に根拠のない自信は、大きな成果を生みます。そう考えながらも自信満々で何かをやることが実は必ずしも良い結果につながるとは限らないものでもあります。

むしろ自信ありげに安請け合いする人ほど結果は心もとなかったりします。むしろ「私にできるだろうか」と不安を抱えながらそれでも「やれるだけやってみよう」とする人のほうが結果的に信頼できることが多いものです。

人は皆、何かに邁進する時、自信より先に不安を感じるものです。
受験生もそうですが、仕事においても、プロジェクトを任せられる会社員においても万が一失敗したらどうしようという不安や恐怖に駆られ、それでも努力しています。
そういった中で「やるしかない」と腹を括り、あるいは開き直って事に臨むものでしょう。
腹を括り、開き直って無我夢中にやっていたら意外とうまく行ったということも多いのではないでしょうか。
何かに、無我夢中で熱中する場面では「失敗したらどうしよう」と思う自分が消えるものです。
不安を抱えていたのも自分ですから、無我夢中の状態でネガティブな思考を抱く自分が失くなると不安も消えるからでしょう。

それはいわゆる、フロー体験とかゾーンという独特の心理状態です。
言い換えるならば「無」であったり「無我」という状態です。
そういったことから考えると、何かを成す際には自信の有る無いではなく、追い詰められて開き直った末の成り行きだったとしても、まず思考という在り方から行動に移すことが大事なことなのです。
真正面からその行為に身を投じることで、退路が断たれ、目の前のことに集中することができるのです。
そこには「失敗したら笑われる」「うまく行けば評価が上がる」といった思考やエゴが介在する余地がなくなります。
行動、行為と一体化することで自我はある程度消失します。

勉強と一体化する。

勉強しなければならない受験生ならば、まず、行動すること、勉強と一体化することです。
理屈は屁理屈にしかならない局面です。
たとえそれが職場だとすれば、新たな企画を推進するプロジェクトリーダーならプロジェクトそのものになるしかないのです。
そこには自分自身と行動・行為との距離はないはずです。

この行動・行為そのものと一体化し没頭する時、私達は気づかないうちに最大のパフォーマンスを発揮します。
「自信を持とう、自信を持たねば」という思いは、かえって不安と焦りを強め思考というあり方から行動、行為との一体化から遠ざけます。
すなわち良い結果につながらないのです。

つまり自信とは予め用意するものではなく、行動・行為の先にあるもの、むしろ行動・行為の後からついてくるものだということです。

自信を持つ事とは ② 』に続く

大倉山藍田学舎 学長 小野修一郎