【とにかく子どもの面倒をよく見る、大倉山藍田学舎学長からのメッセージ】『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【4】』

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『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【1】』

『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【2】』

『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【3】』

物事の本質を見抜くこと!!

その物事の本質を見抜く力をつけるためにも受験生や受験を控えた皆様たちには、
「古き良きものに限らず、新しいものをできるだけ多く目にし、物事の本質を見抜けるようになる事」
に心血を注ぐ事が受験に勝ち抜くためには必要な事となります。

入試問題の質は、時代と共に変化していく為、あまりにも古いものを勉強すると的外れになる事も多々あるのでなおさらです。
英語ならば、英文の難易度・分量・扱うテーマは年々変化しますし、理科ならば難易度や単位(圧力:atm→Paなど)も変わってきました。
そういった意味でも、解くべき問題は現状と照らし合わせて判断しなければいけないでしょう。
各教科の基礎(木で言えば、幹)にあたる部分は、時代が変わってもなかなか変化しないという事に注意し、応用的な勉強(木で言うと、枝葉)よりも古い問題、新しい問題を通して基本をまんべんなく勉強し、基本の上に自分の型を磨き、自分流を築き上げていくべきでしょう。

そういう事を考慮し、大倉山藍田学舎では昨夏より、教材プリントシステムを導入しました。最新の情報を反復させる事で、生徒達の成績を上げる為の効率的な型を作る事を目指しています。生徒の皆さんも積極的にこのシステムを利用して成績向上するための型を作って欲しいと思います。


型と慣れについて

ではここで、型と「慣れ」の重要性について考えてみたいと思います。

先日ネット上で、武道を長年やっている方のコラムを見つけました。
そのコラムのテーマは「形」に関してで、その方曰く「武道において強い人というのは大概、細かい形を意識せず、ひどい場合は形自体を忘れてしまっている」という内容で、「いい加減が大切」だと結論づけていました。

私はこのコラムを読み、私なりの考えを展開させていきます。
強い人というのは形を忘れてしまったのではなく意識する必要もなくなるくらいに繰り返し形を実践した結果、形の動作が非日常から日常へと変化し、理想の形に慣れた事で次第に形の存在自体を忘れていってしまっただけなのではないかと思います。
恐らくその方は形を忘れているように感じていても、その動きは形にのっとっているはずです。

何事においても、型の存在を知り、身につけていく過程の中では、その型はあまり自然に使いこなせず、はじめは心地よいものではないと思います。
英文解釈にしても現代文にしても、それまでフィーリング読みしていた人は、細かい事を意識する為にかえって読むスピードが下がる事もあり得ます。それでも焦らずに、低空飛行を続けることになってもコツコツと型を磨いていけば、いつか高く飛び上がれる時が来るはずです。「そういうものがあると知っている」という状態から始まり、次に意識して自分をその状態にもっていき、それを何度も繰り返す事で意識しなくても自然と体が動くという状態になれば、型として使える域に達したと言ってよいでしょう。

型を磨く勉強法というのは、気楽に成果を出したいという安易な考えでは身につける事ができないものです。
根気強く丁寧に「守・破・離」の段階を踏めば、一瞬は失望するかもしれませんが、中期的に見て、気の赴くままに勉強するよりも早く成果が出るばかりか、より高みを目指せる勉強法になると信じています。(「守・破・離」とは武道や華道等、道と言う字がつくものの修行時に良く使われる言葉です。「守」というのは、型通りにやる事、「破」は、型にはまったことを破って行く努力をする事、「離」は「守」からも「破」からも離れて型通りやらなければならぬ時には型通りにやり、型を破る必要のある時には、これを破りそれこそ「心の欲する所に従って矩をこえず」の境に達することを言います。)

とかく勉強方法や型について難しく考えてしまいがちですが、型を作るという事は、「自分自身が決めた一つの事を愚直に信じる事が出来るよう、基本をベースに努力を重ね、その一つの事をやりきる事、まさに他に流される事なく自分を信じ、自分を持つ」という事ではないでしょうか?
最後に、「安易に答えを求めずに、自分自身で考え抜いてみる事が大事」だとはよく言われますが、確かに、世の中に転がっている幾多の問題には、入試のように「これが正解」というようなものは存在しないはずです。そして、自分の頭で考える事が求められるでしょう。
とはいえ、扱うものにもよりますが、自分の頭の中だけで奮闘しているだけでは、すぐに限界に達してしまいます。

“If I have seen a little further it is by standing on the shoulders of Giants.”(もし私が人よりも遠くを見ていたとすれば、それは巨人の肩に立っていたからだ。)という、アイザック・ニュートンの言葉があります。
巨人の肩というのは、先人達の築いてきたものを指し、古典力学を確立し近代物理学の祖となったアイザック・ニュートンですら、数々の功績は自分一人の力で成し遂げたものだとは全く思っていなかったのです。例えば科学が時代と共に発展してきたのも、そのような積み重ねが着実に行われているからであり、過去の偉人が莫大な時間をかけて見出し、少しずつ積み上げてきたものを、全て一人で発見する事など到底できなかったでしょう。それまで築かれたものを「ある種の型」として自分の中に取り込み、そこを出発点として探求が始まるのです。

「クリエイティビティ」という言葉は、聞こえは良いものですが、巨人の肩に立つという前提なしに創造性だけを振りかざしても、陸上で船を走らせるようなものです。受験勉強においても、まずは基本を徹底的に反復し、その上で優れた良書や問題を積極的に吸収する事が大切なのではないでしょうか。

大倉山藍田学舎 学長 小野修一郎