【とにかく子どもの面倒をよく見る、大倉山藍田学舎学長からのメッセージ】『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【3】』

前回・前々回のブログはこちらから。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【1】』

『勉強につまずかないためにすべき重要なこと【2】』

勉強における「型」とは。

では本題の勉強での型とはどういったものを言うのでしょうか?

一般的な型とは、武道・芸能、スポーツなどで多く用いられるものですが、私は勉強においてもその考えを大事にすべきだと考えています。
つまり勉強における「型を磨く」という事は、「まずは自己流を捨て、より洗練された方法を素直に自分の中に取り入れ、それを大量に訓練を積んで消化し、実戦で使える技にする」と言う事ではないでしょうか。

「型を磨く」勉強法をシンプルに考えると、「まず1冊の本を完璧にする」と言う事になるでしょう。
英文を読む際には、自分なりの感覚で読む事をやめ、良いとされている読み方を完全に真似をして大量の読み込みをする事で、本で学んだ事をわざわざ意識しなくても自然にその読み方が出来るようになる事です。英語の長文読解や現代文の読解でも、解法の原則や公式というものは知っているだけでは役に立たず、大量の練習を通して技として完成させなければ試験では使えません。
一方、物理や化学の計算を伴う問題の解法には、型の考えは効果的と言えるでしょう。
さらに、数学においても基本的原理である公式や典型問題の解法は、式、文章の咀嚼的理解と同時に完全に型として身につけておくべきであると感じます。


宮崎選手と小野修一郎

それぞれの教科に合った「型の磨き方」

実際に受験勉強時、皆どのような感覚で勉強しているのでしょうか?私の経験を踏まえて考えてみたいと思います。

私個人の経験で考えると、私の場合は得意だった数学と苦手だった英語の差は「型の有無」にあったのだと思います。
特に英語に関しては、一つの本のやり方が身につかないうちに次のものに手を付けると言う事の繰り返しであった為、どれも型として使える域に達する事が出来ず、安定して得点できる教科にはなりませんでした。
一方、数学については、まずは一通りの解法のパターンを型として磨き上げ、本質的な部分を学ぶ事をしっかりと出来ていたため、常に安定した得点が期待できる教科になったように思います。

型を形成するという行為は、良い所だけを拾おうというような中途半端な姿勢で臨むべきではないでしょう。
数学ならば始めは計算力を養うために展開、因数分解を勉強する以外に選択肢はないので困る事はありません。
逆に英文解釈を学ぶ時に、誰の考案した勉強法を型とすればよいかと考えると、上述した数学のような解は存在しません。それは英文解釈には、単一的なものさしで測る事ができないルールが存在するからでしょう。

それでも何かしらの指針は欲しいものですから、私なりの考えを紹介します。
それは、勉強をするための教科書や方法は、受験業界で比較的長い歴史を持つもので、現在でも多くの人に使われているもの、受験生が最も多く利用している最新のものを幅広く探求する事です。

例えば、子どもに本格的に音楽を学ばせようと思った時、何を聞かせたらよいかという問題が生じるでしょう。
ジャンルによってその答えは様々だと思いますが、まずはクラシックが候補にあがるのではないかと思います。数百年の時を経てもなお人びとの耳に、心に届いているのは、それだけ質が高いからであり、そういう音楽はさらに50年、100年経っても聞き続けられる事でしょう。ロックならば、ビートルズ、ローリングストーンズ、などがそれにあたるでしょう。
一方、今年流行した曲は20年後も新たなファンを獲得できる保証はどこにもありません。音楽が一時的に勢いよく消費され、その後消えていくことは良くある事です。同時に、今年のヒット曲の中でも数十年後も変わらずに人々を魅了するものがあるかもしれません。

音楽でも勉強でも、すぐに消えてしまうもの(その場しのぎの本質的でない勉強法)と長い間残るもの(本質的な勉強法)をその時に判断する事は非常に難しいでしょう。当然、長い間良いとされてきたものが本当に良いのか、新しく出来て流行ったものは良くないのかという疑問も生まれます。
例えば受験勉強においても1970年代から1990年代に支持された名著を使用すべきなのかというと、必ずしもそうではなく現在でも支持されているものを選ぶ必要があるでしょう。
また、新書に飛びつき評判や評価を受けていないものをいち早く取り入れるべきなのでしょうか。当然正解はそのどちらでもないでしょう。
どんなものでも、その物事の本質を見抜く事を第一に考える必要があるからです。

「勉強につまずかないためにすべき重要なこと【4】』に続く。

大倉山藍田学舎 学長 小野修一郎