【とにかく子どもの面倒をよく見る、大倉山藍田学舎学長からのメッセージ】『自分が思っている限界の向こう側に進む為に【2】』

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『自分が思っている限界の向こう側に進む為に【1】』

リスクと限界について

こんなニュースを耳にします。
「ナイフを使わせると怪我をするかもしれないから使わせない。」
「川で遊ぶのは危険だから川に近づかせない。」
「木登りも落ちたら危ないから木登りはさせない」
「自転車は危ないから一人では乗らせない」
そういった家庭が増えているといったニュースです。まさに大人達が子供達の限界を決めてしまっている例です。

カッターナイフの例を取り上げて考えてみます。
「カッターナイフは怪我するから使ってはだめ」と言って、カッターナイフを使う機会を取り上げてしまいます。
その子はその後カッターナイフを上手に使うことができるでしょうか?親御さんがケアしなければならない手間も増えますが、本当に怪我をすることは悪いことなのでしょうか?確かに怪我をすると痛い思いをしますし治療費もかかります。
良いことは何一つないように思われがちですが、果たして本当にそうなのでしょうか?私は怪我をしたことで、色々なことを学ぶ機会を得ることができたのではないかと思います。カッターナイフは怪我をする恐れのある道具です。だから使うときには細心の注意が必要になります。また刃物で人を傷つけるとこれだけの痛い思いをすることになる等、もっと日常生活では知ることのできない知識をこの体験から学ぶことができたのではないでしょうか?
私はこの知識は、机の上で本を読んでいるだけでは得ることができない知識だと思います。また、怪我というリスクを冒したからこそ学ぶことができた大きな財産なのだと思います。

「この子には○○○は出来ないからやらせない」というケースにとっても同じことが言えると思います。
「これ以上出来ない」となぜそう思うのでしょうか?勿論これ以上頑張ってもこれ以上は出来ないし、どうなるのかを知った上であれば理解することもできます。しかし大人達が安易に引いた限界線のもとに子供達の限界を決めてしまっては、それ以上頑張ることができる可能性をついばみ、自分の限界を求めて努力をするという機会を失ってしまったことになるのだと思います。
安易に限界を決められてしまった子供達は努力の仕方、夢の見方、目標の立て方、目標の達成の仕方までもわからないまま、大人になっていくのではないかと心配になります。


限界を超えた時に感じられるもの

私は、誰もが自分で決めた限界よりはるか遠くまで行くことができるのではないかと思っています。
自分でも驚くような所まで頑張ることができるものだと思います。そのためにはとてつもないやる気が必要ですが、そのやる気さえあれば自分で限界だと思っていたことをいとも簡単に打ち破ることができるのだと思います。
私も中学時代、陸上の練習中に酸欠でふらふらになり吐くまで、熱中症になり足がつるまで走りました。走ったというよりは走らされました。先輩も同級生も後輩達も皆が行っている練習なので自分一人だけが休むわけにはいかず(今思うと非常に危険ですが)、練習が終わり自宅に戻って具合を悪くしていました。
しかし、そういった経験から自分の限界点はここなんだということ、協調性や我慢といった大きな財産を得ることができたことは間違いありませんし今もその経験は生きています。

保護者の皆様も学生時代のことを思い出して見て下さい。
「もっと頑張れた気がするなぁ」ということはありませんか?
「あの時どこか自分で自分の限界点を決めてしまって、もったいないことをしたな」
「もっと頑張れたかもしれないな」
と思うことが必ず見つかるはずです。
つまりその時にどの程度の限界までどのくらい頑張って努力を惜しまず自分を突き動かすことができたのか
ということが大切なことであると思います。

「私の限界はここまでだから、これ以上は取り組めない(出来ない) 」

と安易に決めて、辞めるという行為は自分自身の未来の幅を狭め、自分の首を絞めつけていることに他ならないと考えているので、私はこういった行動を見るのがたまらなく辛いです。
自分の限界を決めるのは、「今ではなく、将来自分が大人になった時」に決めればいいことであると思っています。

最後に私は限界の向こう側にしか見えない光景というものがあると信じています。また、その限界の向こう側を見た人にしか得ることができない境地があると思っています。
アスリートの中には、競技中に自分の身体が神業のように動く、能力の限界の向こう側に行ったような経験をすることがあるようです。
宮﨑選手もそういった経験を時折話してくれます。
100mのレース中に自分の走っているコースだけ光っていた、気がついたらゴールしていた等、まさに限界の向こう側を経験しているようです。
意識してその感覚に入れたらいいと誰もが思うでしょうが、意識してその状態を作り出す、経験することは非常に難しいものです。
ただ一つわかっていることは、理屈抜きに必死に我武者羅に頑張ることで、ある時に限界点を遥かに越えた力を発揮するのではないかということです。

私はまだまだ経験も浅い若輩者ですが、教育者の端くれとして、限界突破目指して頑張っていこうと思います。
皆さんも受験という大きな壁に向かって己の限界と大いに戦い、限界の向こう側にある何かを掴んで欲しいと思います。

大倉山藍田学舎 学長 小野修一郎