【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】『あきらめなければ夢は叶う第1章-②』
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■チラシ1万枚を「全部配ってきて!」
それから宮﨑選手と私、二人三脚でのチャレンジが始まりました。
最初に約束したのは、塾の看板を背負って走ること、そして一緒に塾の運営をすること。どんなに格好悪くても走り続け、復活していく姿を見せることが塾生達への最高の教育になるからです。そして自分自身と向き合うこと。今の情けない自分を認めること。そこからスタートだと言い聞かせました。
そこでまずやってもらったのは、塾のチラシ配りでした。
最初は一切走らせませんでした。というのも、当時の彼の練習のやり方は、トラックのスタート地点でダラダラ寝転がりながらストレッチし、気が向いたら1、2本走るというもの。一流選手なら怪我防止も含めてそれで良いのですが、彼にそんな余裕はありません。それでも過去の栄光にすがり、今までのやり方を変えられない。その状態でいくら練習をしても身につかないからです。まずは自分の今の立ち位置を分かってもらうことが必要です。そのためのチラシ配りでした。
チラシ1万枚を刷って、彼の目の前にドンッと置き、「これ、全部1人で配ってきて欲しい」と言いました。お金だけ渡して、「これでご飯食べてジュース飲んで、後は、どんどん配って」と。ノルマは1日3千枚。1人じゃ絶対ムリな数です。でも、やってもらいました。これが練習だからと言って。
彼は無我夢中で配りました。配り切りたいから無理もします。ある時、マンションの敷地内に勝手に入ってしまい、塾にクレームが来ました。それを宮﨑選手に伝え、「社会人としてはまずい」と教えました。宮﨑選手のガッツと何が何でもといった一筋の光明が見えた瞬間ではありましたが、陸上一筋で来たので、そうした社会常識に疎いところがあったのです。そして、吹いたら飛ばされそうな規模の当塾が、私がどんな苦労のもとに、どういう努力のもとに得たお金を彼自身がお給料としてもらっているのか、自分がいかに社会の中ではちっぽけな存在か、それを分かってもらうための試行錯誤は1ヶ月以上かかりました。
まさに、心のリハビリでした。共に夢に向かって戦うための。
人は能力や才能だけで、一人で走り続けることはできない。誰かの支えがあり、皆の応援があってはじめて万全な体制で走ることが出来る事を...
そして、そういった中で、私はいつ宮﨑選手が「走りたい」「全力で練習したい」と言ってくるのか、待っていました。
彼はその時、大きな勘違いをしていたのです。
私に拾ってもらった、助けてもらったと恩義に感じ、「修一郎さんのために、塾のために走ります」と事あるごとに言っていましたが、それは間違いです。本来走るのは「自分のため」であるべきです。自分のために走らなかったら大きな勝負に勝てません。
私のためにというのなら、自分のために走って結果を出して欲しい。これは受験も一緒です。勉強して大学に合格するのは自分。自分のために頑張らないで、どうやって成果が出せるでしょう? あくまでも自分ごととして捉えて欲しくて、宮﨑選手に対しても自分から「走りたい」と思える瞬間が来るのを待ったのです。
しかし、その時はなかなか来ませんでした。それでも、試合はやってくる。山形で東日本実業団陸上大会があったので、私も応援に行きました。しかし、結果は惨敗。かつては歯牙にもかけなかったレベルの大会で予選落ちでした。試合が終わった後、ひっそりと外のベンチで泣いている姿を見て、このままじゃ本当にダメになる、と私は意を決しました。
藍田学舎 小野修一郎
【次回 高校生たちと基本に立ち返って練習】
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