小さな塾からオリンピックへ
開校当時より大倉山藍田学舎は、掲げる哲学として「自分自身と向き合い、最後まで諦めない心を持っていればどんな夢も叶う」という信念を持ち、生徒たちを指導しています。この哲学を象徴するように、当塾がスポンサーになった宮﨑久選手は、夢に向かって挑戦を続けました。
宮﨑選手は、スランプを乗り越え、ボブスレー競技への転身を果たし、ソチオリンピック日本代表の座を勝ち取りました。あの5年間、私たちは、宮﨑選手が夢を叶えるために最大限のサポートを続けるとともに、どんな結果になろうとも最後まで共に戦い抜く覚悟を持って戦いました。そして、「日本代表復帰」という悲願を、宮﨑選手は全力を尽くし、ソチオリンピック日本代表として勝ち取りました。
また、宮﨑選手の努力や挑戦の姿を通じて、生徒たちに「夢を追い続ける意義」や「逆境と戦う心」の大切さを伝えることができました。
こういった貴重な経験を通して、私たちに関わる仲間たちが、「諦めない心」の大切さを学び、皆さんの未来への活力にしていただければ幸いです。
・宮﨑久選手 プロフィール
宮﨑 久(みやざき ひさし)
生年月日: 1981年3月19日
出身地: 長崎県南串山町(現:雲仙市)
専門種目: 短距離走 100m・200m ボブスレー
日本の陸上競技およびボブスレー選手。専門は短距離走(100m、200m)。長崎県雲仙市出身。陸上競技では、2003年のパリ世界陸上選手権において男子200mおよび4×100mリレーの日本代表として出場し、リレーでは第6位入賞を果たした。また、2013年途中でボブスレー選手へ転身し、2014年のソチ冬季オリンピックではボブスレー日本代表として活躍した。2008年〜2014年迄 大倉山藍田学舎に在籍 ※ 現在、大倉山藍田学舎は藍田学舎へと塾名変更 宮﨑久選手は現在、それまでの陸上競技やボブスレーで培った豊富な経験を活かし、後輩たちの育成に力を注いでいます。自身が経験した「最後まで諦めない心」やスランプからの復活、そして異なる競技への挑戦という独自の経歴を通じて、若いアスリートたちに指導を行っています。
初期の経歴
宮﨑選手は南串中学校を卒業後、福岡県立八女工業高等学校に進学。高校2年生のときに100mで10秒28という学年別歴代最高記録を樹立しました。しかし、高校3年時のインターハイ予選で負傷し、個人種目での出場を断念。チームメイトの支えで4×100mリレーに出場するも、決勝では肉離れが再発し、優勝を逃しました。
大学時代と国際デビュー
1999年に東海大学に進学。大学ではなかなか結果を残せない時期が続きましたが、2002年に関東インカレ200mで初の個人タイトルを獲得。同年の日本選手権では200mで優勝しました。翌2003年にはパリ世界陸上選手権に日本代表として出場し、4×100mリレーで第6位入賞という快挙を成し遂げました。
低迷期と復活
パリ世界陸上後、成績が低迷していたものの、指導者としての活動を通じて新たなモチベーションを得ました。2009年、大倉山藍田学舎に所属し、日本の陸上界の頂点を再び目指す決意を固めました。
2010年以降、宮﨑選手は復調し、日本陸上選手権や全日本実業団対抗陸上選手権大会などで次々と入賞を果たしました。特に2010年の日本選手権では100mで8年ぶりの決勝進出を果たし、自己最高位の第4位に入賞しました。
2011年:代表復帰への挑戦
2011年、宮﨑選手は再び日本代表復帰を目指しました。織田記念陸上や東日本実業団選手権で安定した成績を残し、日本選手権では決勝進出を果たしましたが、惜しくも上位入賞は逃しました。
2011年:代表復帰への挑戦
2011年、宮﨑選手は再び日本代表復帰を目指しました。織田記念陸上や東日本実業団選手権で安定した成績を残し、日本選手権では決勝進出を果たしましたが、惜しくも上位入賞は逃しました。
『陸上競技』から『氷上のF1ボブスレー』への転身
2011年から2013年にかけて、宮﨑 久選手は陸上競技会の日本第一線で活躍を続けていました。しかし、日本代表としての復帰は果たせず、競技生活において厳しい局面が続いていました。そんな中、2013年シーズンの半ばに転機が訪れました。
宮﨑選手は、ボブスレーの日本代表セレクションに参加するという新たな挑戦を決断します。短距離陸上で培った爆発的なスタート力やスピードが評価され、セレクションを突破。その後、2014年に開催されたソチオリンピックのボブスレー競技において、日本代表に選出されました。
宮﨑選手は国際舞台で日の丸を背負い、再び世界に挑む機会を得ました。この転身は、アスリートとしての柔軟性と情熱を示すものであり、彼の競技人生における輝かしいキャリアの一つとなりました。
現在
現在、宮﨑久選手は指導者として活動し、若手選手の育成に尽力しています。自身が経験した「最後まで諦めない心」と多様な挑戦の価値を、次世代に伝え続けています。
学長ブログより
当時の共に戦った軌跡をブログにまとめました。
【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】
『あきらめなければ夢は叶う第1章-③』
【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】
『あきらめなければ夢は叶う第1章-①』
【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】
『あきらめなければ夢は叶う第1章-②』
【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】
『あきらめなければ夢は叶う第1章-③』
【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】
『あきらめなければ夢は叶う第2章-①』
【諦めない心 藍田学舎学長からのメッセージ】
『あきらめなければ夢は叶う第2章-②』
・2008年〜2014年 戦績
大倉山藍田学舎所属時 宮﨑 久 選手成績
2009年度
第64回神奈川陸上選手権大会(7月・平塚)
- 100m 優勝:10.32 (+2.1)
- 200m 優勝:20.98 (+2.6)
第82回関東陸上競技選手権大会(8月・千葉)
- 100m 優勝:10.47 (0.0)
第57回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会(9月・岡山)
- 100m 準決勝:10.74 (-1.1)
群馬リレーカーニバル・日本GPシリーズ最終戦(10月・群馬)
- 200m 決勝6位:21.44 (+2.9)
第28回浜松中日カーニバル招待陸上競技大会(11月・静岡)
- 100m 第一レース:10.79 (+0.6)
- 100m 第二レース:10.79 (+0.1)
2010年度
野田記録会(4月・千葉)
- 100m:10.48
- 200m:21.39
第52回東日本実業団陸上競技選手権大会(5月・埼玉)
- 100m 決勝3位:10.46 (-1.0)
- 200m 決勝2位:21.18 (-0.3)
第94回日本陸上競技選手権大会(6月・香川)
- 100m 決勝4位:10.48 (±0.0)
第65回神奈川陸上選手権大会(7月・神奈川)
- 100m 決勝6位:10.54 (+1.3)
国民体育大会(10月・千葉)
- 100m 決勝6位:10.54 (+1.3)
2011年度
第45回織田幹雄記念国際陸上競技大会(4月・広島)
- 100m B決勝4位:10.38 (+2.8)
第96回日本陸上競技選手権大会(6月・埼玉)
- 100m 決勝9位:10.64 (-0.5)
第66回神奈川陸上競技選手権大会(7月・神奈川)
- 100m 決勝2位:10.54 (+1.3)
- 200m 優勝:21.93 (-4.6)
2013年度
水戸招待陸上(5月・茨城)
- 100m 優勝:10.68 (+0.9)
第68回神奈川陸上競技選手権大会(6月・神奈川)
- 100m 決勝8位:10.89 (+1.7)
第48回全日本ボブスレー・スケルトン選手権大会(12月・長野)
- 男子2人乗り:優勝(1:47.36)
- 男子4人乗り:優勝(1:45.22)
2014年度
第22回冬季競技大会(ソチ五輪) ボブスレー
4人乗り(2月22~23日):総合26位
2人乗り(2月16~17日):総合28位
あれから10年の時を経て
塾にはたびたび顔を見せにきてくれる宮崎久選手と競技場での再会を10年ぶりに果たしました。
当時、彼が夢に向かって努力を続けていた日々が鮮明に思い出されました。陸上競技の日本選手権をはじめとする各大会、ボブスレーに転身しソチオリンピックでの活躍から10年が経ち、宮崎選手は現在、次世代のアスリートを育成する立場として活躍しています。
再会した競技場では、宮崎選手が後輩たちに指導する姿を見ることができました。かつて自分が挑戦者だったころの経験を惜しみなく伝え、若い選手たちに「可能性を信じる力」を教えている姿は非常に感慨深いものでした。
私たちが歩んできた道は決して平坦なものではありませんでしたが、「最後まで諦めない心」を信じ続けた結果、多くの夢が実現しました。そして、それはこれからの世代にも引き継がれていくことでしょう。
この再会を機に、私は、藍田学舎としての使命を再認識し、これからも生徒たちが自身の夢に向かって挑戦できるよう全力で支えていきたいと思います。